佃住吉神社の三年に一度の例大祭では、神輿を担いで隅田川に入る海中渡御が行われていました。昭和三十七年に行われた最後の海中渡御の写真には、初めて渡御に参加した櫻木さんの姿もあります。海中渡御の際には、あらかじめ隅田川の川底に砂袋を敷き詰めておいたそうです。動画の最後には現在の船上渡御の映像が入っ…
1600年代の後半に、佃島の漁師が築地本願寺の再建に尽力したことは有名な話ですが、渡邉さんの御先祖を始め、当時の佃の人々の中には、自分の土地を売り払って金に換え、それを築地本願寺に寄進した方々が多くいらしたそうです。そして、その土地のほとんどがいまだに借地となっているそうです。先祖から伝わる大…
東京湾の漁師でその名を知らぬものはいなかったという網元・平熊。一般企業に勤めた渡邉さんは、会社の同僚から「佃の平熊の人間がうちの社員になるわけないんだから、佃で平熊だなんていっちゃ笑われるぞ」と忠告を受けたこともあったそうです。渡邉家の家系のエピソードは、ある日、…
網元として繁栄する一方、東京市が運営を始めるまで「佃の渡し」の渡し守もやっていたという渡邉家。「なのになんであんな粗末な家に住んでいたんだ? 何であんな貧乏してたんだ?」と母にただしたところ、返ってきた答えは、父が金科玉条のごとく守り通した「家なんて雨露さえしのげ…
単調なリズムの太鼓と哀愁を帯びた踊り歌に合わせ、足を引きずるような動きを右に左に繰り返しながら踊る、佃島の盆踊り。昔から渡邉家の身内が中心となって、歌い継いできた歴史があるそうです。そのルーツは、石山本願寺と織田信長の合戦に勝利した鈴木飛騨守が、負傷した足を引きず…
(撮影:宮本) …