かね重の寺本さんが、ご自身の戦時中の体験、戦後の商店街の取り組みについて語っていただいた部分を抜粋しました(一部要約) ☆お話しいただいた方のプロフィール 寺本政美さん 昭和7年(1932年)月島生まれ。7人兄…
黒野紀代美さんが月島に嫁いできたとき、当時お隣に暮らしていたおばあちゃんは、親戚だとずっと思っていたそうです。それくらい、いつも黒野さんのお宅にいらしたのだとか。支え・支えられという月島らしい近所づきあいを語ってくださいました。 (さらに…)…
電子レンジが発売されて、いち早く家庭に導入したときの、かわいらしいエピソードです。当時、お隣に住んでいたお嬢さんとは現在も親子のようにお付き合いしているそうです。 (さらに…)…
昭和40年に二十歳で月島に嫁いできた池本さん。それまで暮らしていた豊島区と月島の街並みや生活文化の違いに驚きを隠せなかったそうです。 (さらに…)…
池本さんが二十歳まで暮らしていた豊島区と月島では、住民同士のつながりもかなり異なっていたようです。何かあるとみんなが集まって協力し合う、そこでいろんなことを学ばせてもらったと、往時をしのんでいらっしゃいました。 (さらに…)…
昭和40年代の前半は、今ほどは経済的に豊かではなかったけど、心は豊かだった…。季節の行事を心待ちにし、忙しくてもみんなで運営に協力し、そして楽しむ。人々の絆が強く感じられたいい時代だったと振り返っておられます。 (さらに…)…
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和43年11月3日。当時、長屋ではどの家も、国民の祝日には日の丸を掲げていた。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの祖父と、同じく邦夫さんの長男(1歳)。場所は月島3丁目宮本家の前。 宮本さんの祖父はこの時は造船所を辞めて、ご近所…
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和44年。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの祖父と、同じく宮本邦夫さんの長男(2歳)。場所は月島3丁目宮本家の前。 …